※コミュニケーションとる余裕がないので、連絡やコメント頂いても原則お返事できません。

2014年6月25日水曜日

お醤油ありがとうでしーーー!!!!

こんにちは!!!
アルフォート・ジャンキーのくまっしぃです!!!

・・・・・こないだ、キッコーマンの醤油でお腹が痛くなった・・・・なんてことを何の気なしに書いたら、何と、ある人がわざわざ手作りのお醤油をくまっしぃ家まで持ってきて下さいました!!!!
うわああ、ありがとうございます!!!!!!

何だか申し訳ないですーー。
味噌くらいならうちでも手作りしてるんですけど、醤油となるとなかなかハードルが高くて難しいんだけど、伊豆大島でも手作りでそこまでされている方が居て、感激でしーー!!!!

早速使ってみたけど、上品でさっぱりした味でしーー!!!!
くまっしぃも、大豆を栽培するところから始めて、そのうち醤油づくりまでチャレンジしてみたいでし。


さて・・・・子どもの頃から物忘れのひどいくまっしぃは、昨日も書いたように、ここのところ会議の日程を間違えまくってしまっているでし・・・・。

6月17日の「防災まちづくり分科会」は、日付を間違えていて行きそびれてしまい、6月19日の「元町分科会」には、間違って前日に行ってしまい、翌日にまた行き直した・・・というありさまだったりする。

そればかりか、専門家のセミナーなんかが、用事が立て込んで参加できなかったり、雨が降って中止になるなどのことも相次いでいる。

今度も復興町民会議の全体会が、6月27日(金)にあるらしいんだけど、その日程もついこないだ知らされたものだから、その日は既に予定が入っていて参加できないんだよね・・・・。
う〜〜〜ん・・・・・どうなんだろう。

とりあえず、今日こそは「防災まちづくり分科会」があるので、これから行ってくるでし。
こないだの会議では、久しぶりに議論が白熱したんだけど、今日はどんな展開になるかドキドキするでしー。


2014年6月24日火曜日

しまったぁぁぁ!!!!!間違えたあああああ!!!!!!

昨日書いた記事で、「次回の防災まちづくり分科会は6月24日」と書いてしまったんだけど、今しがたその時間に行こうとしていたら、日時が間違っていることに気がついたでしーー!!!!!

正しくは、明日の6月25日(水)夕方6時からだったでしーーー!!!!
申し訳ないでしーーー!!!
ごめんでしーーーー!!!
あれ読んで傍聴に行っちゃった人いなかったかなあ????どきどき

・・・・それにしても・・・・くまっしぃ、ここのところボケまくっていて、この1週間で3回も日程間違えちゃったよ!!!
先週の「防災まちづくり分科会」は、日付を間違えて1日すっぽかしちゃったし、「元町分科会」に出ようと思って役場まで行った日は、まだ前日で無駄足になっちゃったし!!!!

う〜〜〜〜〜〜がふ


2014年6月23日月曜日

6月現在の復興町民会議の近況について

久しぶりに若干体調が良くなってきて、頭もハッキリしてきたので、前回の記事を読みなおしてみたところ、我ながらどうにも投げやりな書き方でびっくりしたでしーー!!!!

まぁ・・・人間そんなもんだろうと思うけど、その時の調子や気分によって随分と感じが違うよねぇ・・・・。
ふにぃ。。。

ところで、「復興町民会議」の状況を少し書いておくと、現在「小休止中」というような状況にある。
50人の委員全員で行う「全体会議」については、5月8日に行われて以来まったく動いておらず、次回は6月27日にならないと開かれない

それまでの間、3つ立ち上がった各「分科会」で色々と議論をして、そこでまとまった内容を、全体会議に持ち寄って改めて議論する・・・ということで、分科会で内容がまとまるまで「全体会議はお休み」ということらしい。

えぇ〜〜・・・・そんなんで良いのかぁ???・・・・って、最初の頃にも会議でゆったんだけど、まぁ、どうもそういうものらしい。

んで・・・実は、肝心のその「分科会」の方も6月の前半はストップしていて、ようやく再開したばかりなんだよね。

「産業・観光分科会」には所属していないから全体の流れはちょっと分からないんだけど、「元町分科会」「防災まちづくり分科会」については、5月いっぱいは何回か行われたんだけど、諸事情があって両方とも6月はしばらくお休みになっていた。

「元町分科会」は、私くまっしぃの理解では、被災者側から「何らかの青写真を提示してくれないと、こちらとしては何も考えられない」との声が多く上がり、専門家の方で、具体的な復興・防災のプランを作る時間をとるために、しばらくお休みになったらしい。
つまり・・・・まず行政・専門家サイドから具体的なプランを提示し、それに対して被災者が意見を言う・・・というのが、この分科会の大きな流れなのだと、私は理解している。

一方の「防災まちづくり分科会」は、大島町が現在行なっている避難計画に関する住民説明会が終わるのを待っているので、小休止していたような状況だ。
この「避難計画の住民説明会」は、島内の各地区ごとに行われるため、トータルで2週間くらいかかるのだが、分科会の事務局(役場職員)がこちらの説明会にもまわらなければならないし、私たち分科会の委員も説明会に「住民として参加しなければならない」ので、日程的に、住民説明会がひと段落してからの再開ということになった。

「元町分科会」は6月19日、「防災まちづくり分科会」は6月17日に再開されているのだが、その様子については、また後日の報告としたい。
物事の羅列ばかりのやっつけ記事になってしまって申し訳ないでし〜〜!!!


ところで、今日(6月23日)これから仮設住宅の「第2回・懇談会」が行われ、復興町営住宅の建設予定地について改めて説明があるようだ。

また、明日の6月25日夕方6時からは「防災まちづくり分科会」が開催され、復興町民会議の全体会に報告する内容の最終的な取りまとめが行われる。
「防災まちづくり分科会」は傍聴可能なので、よろしかったら見にきてね!!!

2014年6月6日金曜日

セレモニーだけれど重要なのが会議ってものなのかな・・・

復興町民会議に愕然としてしまったワケとは


くまっしぃジャーナルの再開を宣言したのは良いものの、実は・・・・少し前から飲み水がうまく作れていなくて、ずっと頭がモウロウとしているんだよね。。。。
なので、まともな記事を書くことは当面断念して、つらつらと思いついたことだけ書いていこうかと思う。

やはり復興町民会議のことは、人からよく聞かれるので、今日は少しそのことをとりとめもなくダラダラと書いてみるでしーー。

少し前の記事で「復興町民会議の在り方に愕然とした」ということを書いたんだけど、どうもこの会議では何か新しい動きというのは出てこないのではないか・・・と、私としては予感してしまっている。
ひと言で言えば、良くも悪くも「会議というものはセレモニー(※儀式)である」ということなのである。

もちろん、会議ではどんどん提案も出されているし、単なる提案ではなくこれから実現に移される施策もいくつもあるだろう。
しかし、おそらく「実現されるものは、復興町民会議があってもなくても、どちらにしても実現されるだろう」ということが、同時に感じられるわけである。

行政の側には、「住民の意見を聞こう」という真摯な姿勢がちゃんとあるし、住民の側にも「自分たちの声を行政に反映させよう」というしっかりとした意気込みがある。
それでも・・・・最終的には、復興町民会議でとりまとめられる「復興計画」というのは、あたりさわりのない内容に落ち着くのではないかと思う。

結局は、住民を集めて復興町民会議をやってもやらなくても、おそらくは同じような「復興計画」ができあがるのではないか・・・というのが私の正直な感想だが、だからといって復興町民会議が無意味だとか、やらなくても良いとかいうことではない。

セレモニーというのは、世の中において非常に重要なものであり、これなくして世の中や住民生活は成り立たないのである。
住民としても、自分たちで作り上げた復興計画という思いがあればこそ協力できるだろうし、行政だって「住民の声をとりまとめたプラン」だからこそ予算の確保がしやすくなる。

だから、会議は会議でしっかりやっていかなければならないのだが、私としてはこのようなセレモニーをことこまかにネット上に書いてお伝えすることには、一種の無意味さを感じてきてしまったわけである。

伝えることで何かが変わったり、新しい動きが起こるかも知れないと思うからこそ、記事を書くモチベーションも生まれるわけである。
結果が変わらないことに時間と労力をつぎ込むことには、やはり言い知れぬ虚しさを感じてしまうわけで、それであれば、ただ決まった結果だけを書いてお知らせしていけば充分であろうと思う。

なお、「会議はセレモニーである」というのは、とりたてて伊豆大島での事例について言うわけではなく、広く世の中全般にそういうものだと思う。

会議というシステムは、何か新しいものが生まれてくるような場ではなく、それぞれの要望を持ち寄って落とし所を探ったり、あらかじめ決まった結論を再確認するための政治的な場に過ぎないということだ。


沢を広げるかどうか、政治的駆け引きの場に


さて、私としてはそんな斜に構えて見てしまっている復興町民会議ではあるが、その中核とも言える「元町分科会」では、一番大きな動きとして「沢の流路を広げてほしい」との要望が強く出されている。

これまでの行政側(主に東京都)の防災計画では、「砂防ダムで全ての土砂を食い止めるので、砂防ダムより下流の流路については拡幅しない」との方針が出されていて、住民側はそれに強く反発していた。

いくら今後は砂防ダムで食い止めると言ったところで、先の災害では、砂防ダムより下流の沢の流路で水や土砂があふれて大災害になったわけであり、住民としてはどうしても不安なわけである。
沢を2〜3倍の広さに拡幅してもらえれば、それだけ水や土砂の許容量が増えるので、住民はその方が安心できるのだろう。

東京都としては、いったん4月4日の説明会で「沢の拡幅はしない」と宣言しているのであるが、一方の大島町としては復興町民会議での声を「住民の要望」としてとりまとめて、改めて沢の拡幅を要望していくことになるだろう。

ここから、大島町と東京都の駆け引きも始まるだろうし、沢を広げるためには住民の土地を接収しなければならないから、住民同士の間でも駆け引きが始まるのではないだろうか。
この駆け引きの先行きは、なかなか見えるものではないから、本当に沢の拡幅が実現するかどうかも分からないという状況だ。

「沢を広げてほしい」という住民の大きなニーズは、被災後かなり早い段階で発生して、ずっとくすぶっていたのだが、それを実現するかどうかという政治的な駆け引きが、復興町民会議という場においてついに勃発したわけだ。

仮に復興町民会議が行われなかったとしても、この要望を巡る駆け引きは必ずどこかで勃発していたであろうが、とにかく物事が表面化するきっかけを提供するという意味では、この会議の存在意義は大きなものがあるのだろう。

私としては、沢を広げるも何も・・・・神達や元町地区は、そもそも人が住むには土砂災害の危険が大きいのだから、いっそのこと全面放棄してしまって、もっと平らで安全な土地に集団移転するべきだと思うが・・・・こういう門外漢の意見が受け入れられる余地はない・・・・ということも、つくづく感じている。

無駄な努力というものをしてもしようがないので、私としては、これからの住民と行政の中で繰り広げられる政治的な駆け引きについては、黙って見守っていることしかできない。

それよりも私としては、改めて「災害のメカニズム」について考え、追求することが、自分の本分であろうと思う。
各方面から色々と資料やメールも頂いているし、じっくり勉強して、なぜどのようなメカニズムであのような大規模な土砂災害が発生したのか・・・・納得の行くところまで追求したい。

とりとめのないまとめ方になってしまったが、私がなぜ復興町民会議について愕然としてしまったのか・・・・ということについて、部分的ではあるのだが、補足的に書いてみた。

恥ずかしながら、こんな年になっても自分は世の中の仕組みを熟知できていなかったわけで、復興町民会議への期待値もどうやら高すぎたようである。

良くも悪くも会議というものは政治的な場であるし、これまでがんばって参加してみたのだが、どうも自分には政治的な場というものはなじまないみたいだと思う。
今後とも嫌にならない範囲で参加しつつ、自分なりのスタンスというものを見つけていきたい。

仙台城からの夜景は、めっちゃ美しうございました


2014年6月4日水曜日

みなさん、ありがとうでしー!!


こんにちは。くまっしぃです!!!

ここのところ、すっかりごぶさたしてしまい、誠に申し訳ないですー!!!!
なんか、へこんでやる気なくしてるみたいなことを最後に書いて更新が止まったので、色々と心配して応援して下さる方が何人もいらっしゃって、感謝の気持に耐えないです〜〜〜!!!!!

コメントやメールを何件も頂き、人づてに心配してくれたり、くまっしぃ家まで来てくれた人も何人も居て、本当にありがとうなのでしーーー!!!!!
心配かけてしまい、ごめんなさい。

実のところ、5月の後半は3週間連続で東京へでかける用事があったり、東北の被災地を見に行ったりしていて、伊豆大島に居る時間がほとんどなくて、パソコンに触れる時間がまったくなかったのであります。

正直、被災するまで8年間も引きこもりどころかベッドで寝たきり状態だった自分にとって、この1ヶ月は、会議に山ほど出まくったり、東京や東北に出かけたりもして、とても多くの方々とお話をさせて頂いて、考えられないほどアグレッシブな期間を過ごしていました。

書きかけの記事も10本以上あって、やる気はあるのですが、何分にも時間と体力が追っつかなくて、くまっしぃジャーナルを見に来て下さった皆様に、本当に申し訳なかったですーー!!!

ようやくひと通りの用事も終わりまして、落ち着いてきたので、またボチボチと記事を書いていきますので、よろしくお願いいたしますですーー!!!!!


それと、先の記事では「元町分科会からも撤退する」と書いておいて何だけど、今度の6月19日に行われる元町分科会では、被災地の復興(防災)に関する何らかのプランが提示されるらしいとの情報が入ってきたので、それにはぜひとも参加して話を聞いてこようと思っている。

思えば・・・・伊豆大島に来てすぐの頃に、2006年ドイツ・ワールドカップがあったので、その時の全財産をはたいて大きなテレビを買って、夜な夜な観戦していたものだ。
その思い入れの深いテレビも、先の災害をきっかけに手元を離れた。
そして、もうすぐ伊豆大島に来て早くも3回目のワールドカップが始まろうとしている。
感慨深くも充実の6月となりそうな予感!!!!

皆様、どうぞ引き続きよろしくお願い申し上げますなのです!!!!!

仙台では、ミッドナイト伊達政宗みてきたでしーー!!!!

2014年5月16日金曜日

被災者の生活再建の応援から撤退

第1回・防災まちづくり分科会、5月21日(水)午後6時から開発総合センター(町役場)にて開催!!
皆さん、よろしかったら傍聴に来てね!!!

復興町民会議の最近の動きダイジェスト


ここのところほとんど記事を書かなかったが、復興町民会議では色々と動きがあった。

5月2日に復興町民会議の今後の進め方に関する「打ち合わせ会」があり、5月8日には、第2回・復興町民会議第1回・元町分科会が開催された。

5月2日の打ち合わせ会では、ざっくり言うと、「復興町民会議は分科会を中心にして進めていく」ということが確認されただけだった。
分科会で細かい議論を行って意見を集約し、全体会議では各分科会からあがってきた内容を50人の委員全員で確認しつつ、意見を補足してとりまとめていく・・・ということだ。

5月8日の第2回の全体会議はわずか30分しかなくて、新しく「防災まちづくり」という3つ目の分科会の設置が決められただけで終わった。
これは、伊豆大島のこれからの「防災のあり方」を話し合っていきたいという人々が集まる分科会になりそうで、私くまっしぃもこの分科会に参加することにした。

私としては本当は、3つの分科会すべてに参加するつもりだったのだが、なぜか「産業観光分科会と防災まちづくり分科会は兼任できない」とのルールが作られてしまったので、まぁいいやと「防災まちづくり分科会」に専念することにした。

被災者しか参加できない「元町分科会」には、後述する理由で今後は参加しない方向になってきたし、全体会議は分科会の提案を承認するだけの月に1回くらいの形式的なものになりそうなので、思わぬことに、私の活動範囲は「防災まちづくり分科会」に絞られることになってしまった。

5月14日には第1回・産業観光復興分科会が開催されたので、初回ということで一応は傍聴に行ってみたのだが、おおよそ「伊豆大島の産業、特に観光をどのように復興させるかが話し合われた」という感じだった。

そして、5月15日には第2回・元町分科会が開かれた。
この日は東京都の土木担当者が来てくれて、都が進めている防災計画(予算数百億円!!!)についての特別説明会が行われた。
参加した被災者からは、「大金沢の流路を拡幅してほしい」という強い要望が複数出され、これについては被災者全員へのヒアリングでも多くの希望があがっていたし、東京都としても追加で検討しなければならないような雰囲気になってきたのではないだろうか。

復興町民会議やその分科会について、もちろん他にも細かい話は色々あるものの、どうしても皆さまにお伝えすべきということは特になかったと思う。


これから何を伝えていけば良いのか検討中


私としては、この復興町民会議の委員になった時から、全体会議にも分科会にもすべて参加しまくって、この会議のあり様を逐一このくまっしぃジャーナルにて公開して報告するつもりで、意気込んでいた。
その意気込みは、第1回・復興町民会議の記事によく表れていると思う。

ところが、どうもそこまで意気込まなくても良いということかも知れないのだが、自分の復興町民会議に対する意気込みや考えが変わるような出来事が色々と起こってきた。

実は、復興町民会議が始まる時に、ある島民の方から「復興町民会議なんてやったって、何の意味もないよ。7〜8月頃になってきたら、住民の要望は何も実現されないことが分かってきてガッカリすることになるから、今のうちから覚悟しておいた方が良いよ。」とアドバイスを受けていた。

これは言わば、行政が住民の声を(形だけ)聞きましたよ・・・という「アリバイ作り」のために形式的に行う会議に過ぎない・・・という意味なのだが、私としても、もちろんそれくらいのことは想定しているつもりでいた。

もし本当にそうだとしても、会議の様子を細かく伝えて「いかにも形式的にやってます」ということを、全国にさらしていけば良い・・・くらいに考えていた。
もちろん、住民側のやり方によっては、そういう形式的なものに終わらない可能性だって、なくはないだろうし。
行政側だって、本気で取り組んでくれるかも知れない。

ところが・・・まだ最初の数回しかやっていないうちから、行政側にガッカリするどころか、私はむしろ肝心の住民側の姿勢を見ていて、どうも愕然としてしまった
詳しいことは書かないが、これによって私としては正直、この会議や分科会の様子を皆様にお伝えする意義を完全に見失ってしまったのである。
(これはもちろん、私の中での勝手な1人ずもうである。)

この復興町民会議のことは、皆さまに詳しくお伝えする必要はないと判断したので、今後はあまり採り上げなくなるだろう。
新聞やニュースで報道される内容だけを見て頂ければ、それで充分だと思う。
お察し頂きたい。

ただ・・・新たに立ち上がった「防災まちづくり分科会」については、できるだけお伝えしていきたいし、それ以外にも何か大きな動きがあったら逐次お伝えしていくつもりではある。

一般の島民が今後の防災のあり方を考えるためには、この「防災まちづくり分科会」に来て頂ければ良いと思う。
傍聴は可能になるはずだし、一般町民の意見もできるだけ反映していきたいので、復興町民会議の委員でなくとも意見を伝える機会が何らかの形で作られるはずだ。



被災者の看板を下ろし、元町分科会から撤退


ところで・・・私としては被災したからと言って、正直なところ、それで生活に困っているわけではない。
といっても無一文のド貧民なので、世間的には「かなりヤバイ状態」ではあるのだが、なにしろ財産も仕事も持っていなくて失うものがなかったので、被災による経済的な打撃は少なかったのである。

だから、自分のことだけで言えば、特に行政に今以上の生活再建の支援を求める必要性はないのが事実である。

ただそれでも・・・・他の多くの被災者の人たちの生活再建を進めるためには、ひとりでも多くの声があがった方が良いのではないのかと思って、これまで被災者の生活再建についてもできうる限り応援してきたつもりだった。

しかしながら、5月8日の元町分科会の終わった後で、ある被災者の人から「君に生活再建の何が語れるんだ!!」「君みたいなやつが被災者づらするな!!」と言われてしまった。
そう言われるのであれば、今後は「被災者」としての立場を前面に出していくのはやめようと思う。

またそれは、暗に被災者のための「元町分科会」からも出ていけということでもあったと思うので、今後は元町分科会への参加も見合わせようと思う。
(※5月15日には、防災計画の説明だったのでこれを最後にということで参加した。)

その他にも色々なことを言われたのだが、言われた通りに、被災者の生活再建についても、応援どころか今後は関わらないようにするしかない。
おそらく行政サイドも、元町分科会などで被災者の話をよく聞いて、万全ではなくとも追加の生活再建支援策をやってくれるだろうから、あまり心配はしていない。

それと、くまっしぃジャーナルに広告を入れていることについて、「災害を喰い物にして金儲けをしている」と批難されてしまった。
時給10円くらいにしかならない収入を金儲けと言われると困ってしまうのだが・・・・まぁ、そう思われるのであれば仕方ないので、くまっしぃジャーナルの収入は被災動物の保護活動などに全額寄付することにしようと思う。
(※まだ私は1円も受け取っていない。)

私も暇ではないので、ホームページの各所表記の書き換えはすぐにはできないが、そんなわけで今後の活動方針にいくつか変更があったので、お知らせしておきたい。