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2014年4月23日水曜日

第1回・復興町民会議でくまっしぃ委員ほえる

歴史的会議は、先が思いやられるグタグタ展開でスタート


皆様、ここしばらく新記事をアップできずに申し訳ないでし。
少し前に「天理へのお礼参り」から帰ってきたんだけど、ちょっと休んでいて気づいたらもう「第1回・復興会議」の日になってしまったでし!!!

そんなわけで・・・・昨日、記念すべき初めての「復興町民会議」が開催されたので、報告したい。
会議の委員としては約50名が参加して行われ、傍聴席もたくさん用意されていた。
傍聴に来ていたのは20〜30人だったけど、マスコミの取材も少し(NHKだけ??)入っていた。

後方に数十人分の傍聴席が設けられていた


・・・・・のだが、最初から最後まで、どうにもグダグダした展開になってしまい、たいしたことも決まらなかった。

まず、役場の担当課長が「事務局」として司会進行を努め、復興会議の役割や進め方について、簡単な説明を行った。

大島町の「復興計画」は、今年の9月には完成しないと、来年度の予算がとれないので、9月末までに意見を集約して完成することは「決定事項」だという。

しかも、その「復興計画」自体を策定するのは、専門家によって構成される「復興計画・策定委員会」(※以下、策定委員会)の役割なので、私たち「復興町民会議」は、町民の意見を集約して、策定委員会に要望や提言を出す・・・という役回りになってくる。

しかも・・・・基本的に、私たち復興町民会議で扱う「復興計画」というのは、
  • 被災者生活再建支援
  • 地域基盤・インフラの復旧
  • 産業・観光の復興支援
  • 防災まちづくりの強化
という4つの分野に限られている。

驚くのは、砂防ダムや導流堤などのほとんどの防災対策を行なっているのは「東京都」なのだが、こちらについては、完全に「管轄外」ということである!!
インフラの復旧とか防災まちづくり・・・・と言いつつも、一番根本的な「防災計画」「ハード面での防災対策」については、手が出せない範囲になってしまっているのである。

つまり、東京都の防災計画は「まだ決定事項ではない」と言いながら、私たち住民の意見を聞く場はまったく設けられていないということなのである!!!

ただ・・・それでも、復興会議の中でも議論や意見の集約をして、東京都に要望をしていくことはできる・・・ということなので、「唯一の公的に住民の意見を聞く場」として、この復興会議を盾にして、東京都や国にどんどん要望を出していきたいと思う。 


いきなり“シナリオ通り”に委員長を選出

 
次に、復興会議全体の「委員長」を決めることになったのだが、当然のことながら、自分から立候補する者は1人も居ない。
そこですぐに推薦ということになったのだが・・・これは正直、「仕込み」としか言いようのない展開だった。

まず、ある人から、(公募ではなく)地元の団体を代表して参加していた委員のTさんに「経験と実績があるから」として推薦の声があがり、これで「ほとんど決まり」という強い空気が漂ってきた。

Tさんは、人柄的に大変おだやかな人なので、荒れることも多いだろう会議をとりまとめていくのに文句なくふさわしい人物だと思う。

しかしながら、〇〇会長とか〇〇議員という肩書きのある人が役職につくという昔ながらの風習で決めるというのは、町民が集まって意見をまとめるという「復興町民会議」には、どうもふさわしくないようにも思うのである。

Tさんは素晴らしい人物だが・・・できれば、住民の中から自ら手を上げた「公募委員」の方にやって頂きたい・・・というのが、正直な私の願いである。

そこで不肖くまっしぃ、前回の反省に立って、一般住民や被災者の立場を代表しつつ、人格的にも素晴らしい女性を2人推薦させて頂いた。

どうせご本人に辞退されてしまうだろうとは思ったが、とにかく「女性が推薦された」という事実だけでも重要なことだと思うのである。
「肩書きのある男性しか推薦されない」ような昔ながらの雰囲気は、空気も読まずにぶっ壊していくのである。 

すると、Tさんを推薦した人から、「こういう仕事は責任が重いので、実績のある人の方が良いと思う。」と重ねて強い意見があった。
Tさんに決まりという確固たる意志が、会議全体のバックにあることをヒシヒシと感じる。

ところがさらに、くまっしぃの提案に引き続き、町議会から参加していた女性町議員を推薦する声もあがった。嬉しいことである。
最終的に推薦されたのは、男性3人、女性3人ということになった。

ここで・・・投票するかどうかという局面になったのだが、よせばいいのに、くまっしぃがうっかり気をきかせて「まず、ご本人にやって頂けるかどうか意向をうかがって下さい」などと言ってしまったものだから、ほぼ全員に辞退されてしまったでしーー!!!!

しまったーーーー!!!!
どうせ、投票になってもTさんに決まっただろうから、そのまま投票させておけば良かったでしーーー!!!!!

Tさんだけが「私も辞退したいのですが、誰もやる人が居ないと進みませんので、異論がなければ引き受けても良いのですが・・・」と、しおらしく申し出たため、委員長はそのまま無投票で決定した。

ここで私くまっしぃは、それならば・・・と、これまで町長選挙に何度も立候補していらっしゃるKさん(女性)さらに推薦しようとしたのだが、司会をしていた担当課長がすごい勢いで「推薦はこれで打ち切ります。」と宣言して話をどんどん進めたので、不覚をとって言いそびれてしまった・・・・。

事務局(町役場)としては、とにかく委員長をTさんに決めたくて焦っていたようだ。

う〜〜!!!難しいところである。
・・・・委員長になると、自分の意見をなかなか言えないし、色々と大変だし・・・そこをあえてTさんがやって下さるというのは、とてもありがたいことなのである。

一番心配なのは、委員長が強引な進行をして住民の声がちゃんと反映されないことなのだが・・・その点では、公募委員ではないとは言え、Tさんならば、皆の話をちゃんと聞いて公平に進行してくれるであろう・・・・ということで、ここはおとなしく引き下がることに。

まぁ・・・それにしても、委員長になったTさんは、そのまま議長席について進行をやり始めたんだけど、「突然推薦されて決まっちゃった」という体で委員長になったはずなのに、そのまま打ち合わせもないのに「7時半から分科会を始めたいので、それまでに話をまとめて下さい」などと完全に流れを分かっている感じで進行をやり始めた(笑)

明らかに事前に打ち合わせしてあったことがミエミエだったけど、うまく嘘がつけない人の良さがこんなところで炸裂していた(笑)ので、まぁとりあえず良しとしよう。


どうしようもないグダグダ会議の末に、2つの分科会の設置を決定



このような並びで席が用意され、それぞれ好きな場所に座って参加した

あとは、ひたすら、「2つの分科会の設置を認めるかどうか」を巡って、ああでもないこうでもない・・・・と質問や意見が出てまとまらず、アッという間に時間がなくなってしまった。

建設的な意見が出されたわけではなく・・・50人の委員ほぼ全員が、事務局(町役場)から提案された「2つの分科会の設置」の意味がよく分からず、何度も同じような質問が堂々巡りで繰り返されていた感じ。

分科会というのは、50人もの大人数で行う復興会議では話がなかなか進まないというので、復興会議とは別組織のような形で、10人〜20人くらいのグループを作るというもの。
分科会で決まった結論は、また別途50人の全体会議に持ってきて提案するのだが、細かい議論は分科会でじっくりやっていこう・・・ということらしい。

先ほど、復興会議には4つのテーマ(分野)があるということを書いたが、そのうちの「被災者生活再建支援」「地域基盤・インフラの復旧」「防災まちづくりの強化」の3つについては、「元町地区の復興」ということにテーマを絞り、「元町地区の復興」「産業や観光の復興」という2つの分科会を設置しよう・・・というのが、事務局(町役場)の提案である。

さらに、「元町地区の復興」分科会(※以下、元町分科会は、り災証明を持っている被災者だけで行なっていきたい・・・ということだった。

これに対して、もっと他にも分科会を設置しようという意見や、被災者ではないけど元町分科会に入りたいという意見が相次いだ。
ついでに言えば、私くまっしぃは「分科会なんて作らないで、議題ごとに参加したい人だけが出席していけば良いじゃん」という提案もさせて頂いた。

それに対して事務局(町役場)は、えらい焦りようで「後から変更はできるので、今日まずは、この2つの分科会の設置を認めてほしい」と何度も何度も繰り返していた。
分科会を追加することは、全体会議の決定があれば後からでもできるので、今日のところは何が何でもまずこの2つを・・・・ということだった。

被災者以外の元町分科会への参加についても、まずは当事者である被災者だけで分科会を開催し、そこで話し合って決めてはどうか・・・ということが繰り返された。

この日、50人での全体会議の終了後、被災者だけが残って元町分科会を開催したいので、そのことだけでも決めてくれ・・・・ということなのである。
なぜ、事務局(町役場)元町分科会の設置にここまでこだわっているのか・・・それは後で明らかになった。

最終的に、委員長が議論を打ち切り、挙手(多数決)で2つの分科会の設置が決められた。
あれ〜〜???事前説明会では、「多数決で決めることはしない」と公言していたのになぁ・・・・。

まぁ・・・・そこまで焦る理由があったというのが後で分かったのだが、多数決でどんどん決定して進行していくんだったら、そんな形だけの会議なんて意味がないので、先行きを少し不安に思わせる展開である。

私は、別に反対する理由もなかったのだけど、正直なぜこのような形で進行する必要があるのかが、よく分からなかったので、手を挙げなかった。



やる気の見えない次回の日程案に、くまっしぃ委員立ち上がって叫ぶ


全体会議の最後に、次回の日程を決めることになった。

被災して以来半年、多くの被災者や住民が待ちに待った記念すべき復興会議がようやく開かれたのに・・・・まだ委員長を選出して、2つの分科会を設置することが決まっただけで、まったく何も決まっていない

復興に関する具体的な話がひとつもされていないのみならず、これから復興会議をどのように進めていくかさえ、なにひとつ決まっていない。
次回もおそらくは、会議をどのように進めていくのか、そしてどのくらいのペースで進めるか・・・ということを決めるので精一杯であろう。

復興計画を9月までに決めるためには、7月までに骨子をまとめなければならないのだが、4月はもう終わりだし、こんなことで何か具体的なことを真剣に議論して決められるのだろうか???
役場が決めたプランを追認するだけの「形だけの会議」になることは、もう今の時点で目に見えている。

そして・・・・またもや事務局(町役場)からの提案で、5月8日(木)に、「復興計画・策定委員会」の専門家の先生が伊豆大島に来るというので、先生方と顔合わせや意見交換を兼ねて、その時に開催するという流れになった。

今回も何も決まっていないわけだし、次回5月8日にやるとしたって、それは間違いなく、専門家の先生との顔合わせや意見交換だけで終わってしまうだろう。
そうしたら、5月8日の最後に「また今日も何も決まりませんでしたので、次回の日程を・・・」なんて言ったところで、早くても5月の後半とか6月になってしまうのが関の山である。

7月には復興プランの骨子を決めなければいけないのに・・・・。
会議の本格的な始動が6月になるようじゃ、もうおしまいだ!!!!

何だったら、これから毎日徹夜でやるくらいの覚悟がなければ、この大切な復興町民会議の委員なんて務まらないと思う。
皆さん仕事があって大変だろうけど、私だって、会議のためにずっと白米断食しなければならないし、それなりの覚悟を持って出てきている。
(※私は化学物質過敏症で、普通の食品を食べていると頭がもうろうとして働かないので、大事な仕事がある時は無農薬の白米しか食べない。)

それにしても、事務局(町役場)そんな悠長なことを言っているのは、まだしも不思議ではないのだが・・・・。
あろうことか、被災者を含めて50人の委員全員が「じゃあそれで・・・」という空気になっていたので、私はたまらず「そんなことで良いんですか??こんなペースでやっていって、本当に何か大事なことを決めることができるんですか??」とマイクもなしで発言を始めた。

そしたら事務局(町役場)サイドが、「5月8日以降、毎週開催することにしても良いわけですし・・・」などと色々と説明を重ねてきた。

だが、完全にスイッチが入った私くまっしぃ委員は、立ち上がって
事務局に言っているんじゃありません!!
私は委員の皆さんに聞いているんです!!!
皆さんはどうなんですか???
あと何ヶ月かで最終結論をまとめなきゃいけないのに、こんなペースで進めていったら、この会議では、何も決められないんじゃないですか??
皆さんは、それで良いんですか??」
と、半ば叫ぶようにして皆さんに強く訴えかけた。
残念ながら、体調が悪かったのであまり大きな声が出なくて迫力不足ではあったが・・・・。

その結果、ゴールデンウィークの最中に、もう一度、今後どのように復興会議を進めていくのかを決めるための会議をやろう・・・という話になった。
だが・・・ちゃんとした日程が決まっていないので、本当にその会議をゴールデンウィーク中に招集してくれるか若干不安である。

委員長さん、頼みますよ〜〜!!!!
がうがう



「元町分科会」で全部決めちゃうのか???


そんなこんなで全体会議は散会し、今度はもっと小ぢんまりとした席を用意して、被災者だけで行う「元町分科会」が行われた。
以前の記事では、「被災者は6人」と書いてしまったのだが、実際には8人居た
私の面識なかった人が1人と、知っていはいたが被災者だと認識していなかった人が1人、いらっしゃった。
失礼しましたでしー。

この分科会でも、あれやこれやと話があったのだが、主に「被災していない人の参加を認めるか」「一般の傍聴を認めるか」ということで、議論が交わされた。

その中でどうも分かってきたことは、復興や生活再建の多くは、この分科会でどんどん決めて実施しまおう・・・・という流れだった。
50人もの全体会議では、細かいことを決めたり議論するのが難しいので、要は小回りのきく人数を限定した場所で実質を決めよう・・・という役場の思惑である。

少人数の非公開グループであっても、50人の公会議に承認された、いわば「公的な組織」である。
この場所でどんどん話を進めてしまえば、ちゃんと被災者の声を聞いているというスタンスを取りながらも、内々の話だけで進めていけるので、行政としては非常にやりやすいわけである。

これはつまり、50人の委員からなる「復興会議」は、分科会で決めたことを追認するだけの形だけの組織であり、「元町分科会」こそ復興の実働部隊である・・・ということであろう。

元町分科会へは、さらに他の被災者の参加を追加して認める方向だが、一般住民の参加や傍聴はさせない方向なのである。 
こうした「仕組み」を考えているのは、もちろん事務局を務める町役場なのだが、私はどうも、その背後に居る「コンサルタント会社」があれこれと指南しているように思えてならない。
(※いつの間にか「パシフィックコンサルタント」という会社が、復興予算の3分の1を占める5000万円という大金で復興計画全般のコンサルタントを受注し、色々と動いている。)

町役場には、ここまでの構想を考える能力はないはずだ。
はっきり言えば、町役場も復興会議も、コンサルタント会社に動かされているように思えるのである。
(※現在、すべての被災者をまわって行なっている「ヒアリング調査」にしても、町役場ではなくこのコンサルタント会社が発案して動かしているものだと思う。)

それでも・・・・私としては、「復興会議は(分科会も含めて)すべて傍聴させてオープンにやるべきだ」と以前から主張していた被災者の会の人たちが、分科会の半数を占めているので安心していたのだが・・・・甘かった。
前言をひるがえす形で、被災者の側まであっさりと丸め込まれてしまったのだ。

これで流れは、完全に「元町分科会は非公開で行う」ということになってしまった。
ひとつの考えとしては、被災者は全体会議では少数派になってしまうので、分科会の中で自分たちだけで議論して要望できた方が、被災者サイドとしては確かにメリットとしては大きいだろう。

もうひとつ、役場や、役場の背後に居るコンサルタントから強く言われたことは、「被災者のプライバシーを保護するために、元町分科会は非公開にするべきだ」ということだ。

被災地の復興や、被災者の生活再建を進めるためには、具体的な被災者の名前や置かれている境遇を話に出す必要があるので、そういう「個人情報」が他の人に知られてしまうと困る人が居るだろう・・・というのである。

う〜〜〜ん・・・・!!!!
これは、確かに一見するともっともな言い分にも聞こえるし、被災者の会の人たちはこれで完全に納得してしまった。
先ほどまでは「一般住民の参加や傍聴も認めても良い」と言っていたのだが、今度は皆で一丸となって私くまっしぃの説得にかかり出した。

「単に、個人名を出さずに議論すれば良いじゃないですか。」というくまっしぃの反論も虚しく、それ以上の根拠も思いつかなかったので、押し切られて「とりあえず次回の分科会は非公開で行なって様子を見ましょう。」ということになってしまった。

ん〜〜〜・・・・でも、やっぱり完全にモヤモヤした話だよなぁ・・・。
少なくとも「公金をもらって支援を受ける」のだったら、情報をある程度は公開していくのは当然じゃないのだろうか???

そもそも、議論する上で個人情報を保護するための配慮ができないのなら、公的会議の委員などするべきではないし、配慮はしたけれども傍聴人にそれが誰のことを言っているのか分かってしまったとして、それがいったい何の問題があるというのだろうか???

私のやっているこの「くまっしぃジャーナル」を見て頂きたいが、個人情報をできる限り保護しつつも、色々と具体的に被災者が困っている話を書きまくっている
私だけでなく他にもインターネットで発信されまくっているのに、今さら傍聴人がどうこういう話ではないのではないだろうか???

そもそも論として、公的な場に話を出さなければ、公金を受けて救済されることなどありえないのだし、もしも匿名で話を出したとしても「傍聴すら困るけど支援はしてほしい」という人が本当に居たとしたら、申し訳ないが、そういう人には公金での支援は諦めて民間で何とかするべきだろう。

ただ、私が思うに、いくら何でもそんな人は1人も居ないと思う
誰だって、本当に困っていて公的な支援が受けられるのならば、匿名で議題にあがることは構わないだろうし、それすらも嫌な人ならば、むしろ公的支援自体を受けられなくても構わないと言うのではないだろうか。

・・・・ともかく、私はこの件ではまったく納得が行かないので、次回以降も一般参加と傍聴を認めるよう主張し続けていくつもりである。
どんな理由であれ、「クローズドな場所」マスコミ風に言えば「密室」で公の物事を決めるべきではない。

次回、「元町分科会」の開催は、4月30日(水)午後6時からになったので、またどのような経緯になったかお知らせするでし。


※この復興会議の様子が、「家っイ!」でもレポートされてるでしー


11 件のコメント:

  1. お疲れ様です!
    いろいろ、最初に結論ありき、な雰囲気が伝わってきますでし。
    準備や議事録など、大変そうです。
    無理せず頑張ってください。。。って難しいけど。。。

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    1. ありがとでしーー!!!
      今のとこ、まだ無理は全然してないので、だいじょうぶでしーー!!
      役場の人は、「シナリオありき」と言われないように気を使ったと言ってたでし(笑)。確かに気を使った誘導の仕方ではあったけど。
      また会議の様子は逐次お知らせするでしー。
      そーいえば、NHKの朝のニュースで映ってたらしいでし!!

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    2. くまっしージャーナルありがとうございます。第1回復興町民会議(とても会議と言えるものではありませんでしたが)の様子を、参加していない人達が知ることが出来ることを有難く思っています。一町民が意見をいえる設定にはなっていないし、またなにを述べても何にもならないことがよくわかった会議でした。

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    3. まことに「とても会議と言えるものではありませんでした」と言われても仕方ないグダグダ会議でございました。
      私としては、このグダグダ感も余すところなく全世界にオープンに発信していきたいと思います。

      まぁ・・・どれだけしょーもない会議であろうとも、あきらめることなく「やれることはやっていく」ということで、出席し続けて意見は言っていこうと思っております。

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  2. 第1回会議は傍聴席から傍観?していました。詳細はマイブログにアップしました。
    被災者だけでやればプライバシーが守られるなんて、そんなことは噂話が回覧板みたいな島で誰も信用しないでしえょう。個人の事情は被災者の数だけあるのすから、本来は役場が一軒一軒被災者宅を訪問して、共通課題と個別課題に仕分けしておいて、会議での議題をあげればいいんだろうと思います。つまり個人事情を役場が被災者の替りに述べればいいんだろうと思いますけどね。コンサルタントがそういうアプローチもあるよと指導できないのなら、契約破棄すべきです。失格です。
    なんにしても町も住民も気の毒です。
    島民の宿命さえ感じます。
    都会で多くの経験を積んで、島のことを真面目に考えている人を活かす発想がない。
    仕事で世話になっているからとか、どこの誰とか、あそこの親戚だとか、年寄りとか若いとか、意見を言う前に、自己防衛みたいになってしまっているような・・・・・。
    それにしてもコンサルタントにはいくら払っているんだろう、調べてみたいな。

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    1. コメントありがとうございます!!!

      ガレキ処理費用に50億円もかけられている中、復興予算はわずか1億6千万円しかないのですが、何とそのうちの5千万円がコンサルタント料にあてられています!!
      このことは、4月4日の住民説明会でも問題とされていました。

      コンサルタントの指南によって、役場もようやく重い腰をあげて、すべての被災者を個別訪問してヒアリングすることを始めています。
      ご指摘の通り、そこで挙がってきた課題をピックアップして、事務局(役場)から議題を提示してくれれば、何も会議で個人の事情を詳しく述べながら議論する必要なんてないと思うのですが・・・。

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  3. たびたびすみません。この内容をマイブログで紹介してもいいですか?
    家イ!http://onewland.exblog.jp/

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    1. 引用・転載大歓迎でございます。
      どうぞよろしくお願いします!!

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    2. そういえば、こちらでも家イ!の記事にリンクさせて頂きました!!!

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  4. 引用了承の件 ありがとうございます
    応援しています!

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