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2014年4月14日月曜日

復興町民会議の説明会で、早くも火花が!!

いよいよ始まる「復興町民会議」の事前説明会が開催


今日、夕方6時から、復興町民会議(※以下、復興会議)の説明会があった。
不肖くまっしぃも、この復興会議の委員になったので、もちろん参加してきた。

今回はあくまでも「説明会」ということで、復興に関して具体的に何かを議論するのではなく、会議の位置づけや進め方などを事前に説明する・・・というための集まりだった。

復興会議は、町を代表する団体(町役場とか商工会とか)から参加する委員と、公募で集まった町民とで構成されており、合計で50人もいる
今日の説明会は、そのうちの公募の町民26名を対象にしたもので、見た感じおそらく全員が参加していた。

それにしても・・・・8000人もの町民が居ながら、この島の未来を決める復興会議に名乗りを上げた有志がわずか26人・・・・しかも、200人を超える被災者からは、私が確認できたのはわずか6人・・・仮設住宅からの参加者にいたっては私を入れて2人・・・というのは、何とも心もとない現状ではある。
(※後から知ったのだが、家のすぐ裏手が崩れている人も居たので、被災者の定義を広げればもう少し人数が増えるかも知れない ※※災証明を持っている人は、8人居た!!)

「被災者の会」からは事務局メンバーが全員参加(※夫婦の人はどちらか1名の参加だけど)していたし、「伊豆大島の水脈と土石流等を勉強する会」からも主要メンバーが入っていた。
それに引き換え、我が「伊豆大島オープンアイランドプロジェクト」からは、私くまっしぃ1人のみなので、ちょっとさみしかったでしねー。
(※同じグループから何人も入れるとは思わなかったので、1人しか応募しなかったんだよ!!!)

冒頭で、参加者全員に対してマスコミの取材を入れて良いかという確認があった。
驚いたことに、このように取材もオープンだというのに、取材に来ていたのは読売新聞1社だった。
現在、島には多くのマスコミが取材に来ているはずなのだが・・・。

説明会直前の様子。20人を超える町民有志の参加者が集まった


「復興町民会議」の位置づけと進め方を巡って


最初に、町役場の政策推進課長より、復興会議の位置づけや進め方について簡単な説明があり、その後で質問を受け付けたが、予想通り、様々な質問や意見が次々と出され、半ば収集がつかないような雰囲気になった。

大まかに言うと、どこまでが大島町や東京都によって決定されていることで、どこからが町民参加者がこれから決めることができるのか・・・ということだった。

復興会議についても、町役場の方である程度の形を考えて提示されたわけだし、防災対策については、東京都が計画を立てていて、既に一部は工事が進められている。
この状況下で、私たち一般町民が、これからいったい何を決めることができるのか・・・???
あるいは、既に決められた計画を変えてもらうことができるのか??
疑問だらけだった。

まず、少なくとも復興会議の進め方については、これから参加者自身によって決めていくことができるということだった。

町役場から、復興会議の下に「被災者支援と町づくり」「産業・観光復興支援」の2つの分科会を作る・・・という話があったのだが、これはあくまでも「提案」だそうで、この分科会についてもどういう形にするか、参加者が決めることができるそうだ。
参加者の議論によって、これから新しいテーマの分科会を設置することも、分科会の進め方や在り方を変えることもできるという。

復興会議には、何か具体的な「権限」があるわけではないのだが、ここでまとめられる提言は行政にとって極めて重い・・・今後、それを参考にしながら行政の動きを進めていく・・・といった説明もあった。

町の小さな予算でできることで、急を要する被災者支援であれば、復興計画の完成を待たずして、復興会議の提言によってどんどん動いていくとも言って頂いた。


行政の一方的な進め方を巡って、一時紛糾する場面も


様々な疑問が出されていた中、「被災者の会」のメンバーから、行政の復興の進め方について、激しく追求する場面があった。

大まかに言うと、なぜ町民や被災者の声を聞いてまわらないのか??・・・なぜ、「復興計画の策定委員会」など行政の様々な委員会に被災者を入れないのか??・・・といったことだ。

それに対して役場側からは、まず遅まきながら全被災者の家をまわってヒアリング(聞き取り調査)を行うとの回答があった。

それはともかくとしても、肝心の「復興計画」というのも、私たち復興会議ではなく、「策定委員会」なる専門家の委員会が決めるものらしい。
復興会議は、行政や策定委員会に、町民の声を集約して反映してもらうための組織だそうで、立場としては「策定委員会とは同格」だと説明されたが、「それだったら、最初から策定委員会に町民・被災者を入れたら良いじゃないか」というのが、被災者の会側の主張だった。

行政に対する強い不信感をあらわにした追求が続いたので、政策推進課長も声を荒げて反論し、さらには他の町民参加者が割って入って「被災者の会」メンバーを批判するなどしたため・・・一時、完全に紛糾した

おそらく・・・被災者の会の人の批判的な言い方に頭に来たのだろうが、他の町民参加者が激昂して立ち上がり、上着を脱ぎ捨てて、「それはもっともな意見だが、それだったら、もっと早くに立ち上がってそれを行政に言うべきだった!!!」と怒り気味に食ってかかったのだ。

イヤイヤイヤ!!!・・・・みんな、だいぶ早くに立ち上がって、それをずっと言い続けていたんですけど・・・・知らなかったの???
あ〜〜!!!くまっしぃ、また大事な場面でツッコミ損ねちゃった!!!!!
まだまだ図々しさが足りないなー・・・・。
これからは、もうちょっと遠慮なくツッコめるようにがんばろー。

でもまぁ・・・知らない人が居るっていうことは、それだけ情報発信や他の住民との連携が足りていなかったことが原因なわけで、そこは被災者側の反省材料でもあると思うけど。


復興会議で、いったい何が決められるのか??


結局、被災者の会の追求は、平行線のまま打ち切られ、うやむやになってしまった。
「伊豆大島の水脈と土石流等を勉強する会」の人たちも、かなりがんばって発言を繰り返し、復興会議に専門家を入れたらどうかとか、分科会をもっと作ったらどうかとか、色々な提言をぶつけたが、どうもはっきりしなかった気がする。

そこで最後に私から、
「どうも枠組みが既に決まっているように思えるのだが・・・。

東京都の防災対策も、中・長期の計画はまだ決定ではなかったはず。復興会議でこの点について、要望や提言をしていけるのか??

また、根本的な話として、元町地区全体の集団移転ということも当然意見が出るはずだと思うが、現実にできるかどうかは別としても、復興会議でこういう議論をすることは可能なのか??」
ということを質問した。

そのような議論や提言はもちろんOKだということだったので、これから復興会議でそういう議論をバンバンしていきたいと思う。

もちろんそれは建て前なのかも知れなくて、「被災地に砂防ダムや導流堤を建設して下流の市街地にはほぼ対策をしない」・・・という東京都の「防災対策(案)」は、実際にはほぼ決定事項のようなものなので変えるのは難しいだろう。
「集団移転」についても、「現実的に無理でしょう」と一笑に伏された感じである。

まぁ・・・実際に復興会議に決められることには、かなり制限がありそうな気がするのだが・・・・それでも、「住民がどこまで本気で取り組むか」によって、いくらでも変わってくるのではないかと思う。
建て前の上だけであっても、「まだこれから変更可能である」というのは大事なことで、それをとっかかりに現実を動かしていける可能性がある・・・ということなのだ。


第1回の復興会議の開催時間を巡って再び紛糾


そして最後の場面で、第1回の復興会議の開催は4月22日ということが告げられたのだが、開催時間を巡って紛糾した。

町役場が、最初から「午後1時半」という時間に設定していたのに対し、町民参加者から「仕事があって参加できない」と不満の声が爆発した。
役場側も、「第1回目だけは役場の規定に沿って行わせてくれ」などと粘ったものの、町民側の勢いに押し切られて、「それでは、夜の開催ということで各団体と調整してみます」・・・と、しぶしぶ妥協せざるをえなくなった。

2回目以降の復興会議は、会議参加者が決めていくことになったので、いつどのくらいの頻度で開催するかも、最初の会議で決められるだろう。

役場としては月に1回か2回くらいで考えているようだが、そんな程度では、本当に行政の決定を追認する形だけの会議になってしまうだろう。

私としては、最低でも週に1回は開催して、徹底的に議論を尽くすべきだと思っているし、他の参加者の多くも、その位の意気込みで来ていると思う。
9月までにプランをまとめなければならないそうだが・・・話をするべきことや、提言するべきことは、山ほどあるのだ。

中には「考えていたよりも責任が重すぎるので、復興会議の委員を辞退することも検討したい」などと言い出す人まで居たので、ついてこれない人も出てくるかも知れない。

復興の中身を決める前に、復興会議の進め方を決めることが、まず大変な大仕事になりそうではあるが・・・私は、参加者の皆様の奮起を期待している。

行政によって招集された会議ではあるが、参加者自身が強い意志でつながって、既に行政で決定されたことを次々と覆していく・・・・そんな「フランス革命」で起こったような展開だって、ありえなくはないだろうと思っている。

人数こそ少ないが、この島の未来を考える熱意を持った人たちが、党派を超えて集まっているのだ。
被災者に限定して結成された「被災者の会」以上に、大きなムーブメントになっていくのではないか・・・という熱い手応えを感じている。


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