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2014年5月8日木曜日

私のバレンタイン・デイ


その人は死者の海の上に立っている


災害の前は、デヴィッド・ボウイのことが実はそこまで好きなわけではなかったのだが、被災体験の後はなぜか、音楽はほとんどデヴィッド・ボウイしか聴かなくなった。

以前は、熟年になってからの低音ボイスのボウイの曲は大好きだったのだが、若い頃の甲高い声のデヴィッドボウイの曲がかなり苦手だった。

そして実は、昨年発表されたアルバム「The Next Day」も、なぜかさっぱり分からないというか・・・ちょっと若い頃のアルバムのテイストが戻ってきた感じで、もうすっかり体が受け付けない状態になってしまい、ほとんど聴くことができなかった。
災害の前までは。

ところが、あの大災害で多くの人の死に立ち会い、色々な体験をする中で、なぜか突然、デヴィッド・ボウイと妙に波長が合うようになってきたのだ!!
聴いていると、ボロボロ涙が出ることも、しょっちゅうである。

きっとデヴィッド・ボウイという人は、感情というもの・・・、特に悲しみの感情を、歌声に載せて響かせてくるようなところがあるので・・・以前の「感情を押し殺して生きていた自分」には、どうにも耐えられないものがあったのだろう・・・と思う。

災害に遭った後の“今の自分”は、感情をとても大切にしているし・・・それに何というのか、デヴィッド・ボウイのことを少し理解できるようになってきたのかも知れない。

デヴィッド・ボウイは、どこか「幽霊」のような存在の人で、常に死の世界と隣合わせに居るというのか・・・いつ死んでもおかしくないような、ギリギリの人生を生きてきているのだろう。

斜面が崩れ落ちたその場所から見る夕陽


感情を押し殺せば、自分がゆっくりと死んでゆく


私が、この伊豆大島での災害体験によって何より深く理解したことは、ただひとつ。
“生きていく”ということは、感情をありのままに吐き出していくということ・・・だった。

“生きる”ということと、“感じる”ということは、イコールである。
“生きる”ということと、“感情”とは、イコールなのである。

だから・・・人は、感情を押し殺せば、心だけでなく、体まで押し殺されてボロボロになっていき、やがて本当に死んでしまう

それは単にいつか遠い将来に・・・ということではなく、感情を隠せば隠した分だけ、確実に死というものに近づいていくのだと思う。
そのことが、理屈ではなく体で理解できるようになってきた。

東北の被災地では、津波や地震などの災害で直接に死んだ人よりも、その後の避難生活のストレスが元で死んだ人、いわゆる「震災関連死」と呼ばれる死者数の方が多いのだという。
これも・・・色々なことをガマンしてストレスがたまったということで・・・つまりは感情を押し殺した結果・・・なのではないだろうか。

こんなことは、あまりに感覚的過ぎて説明になっていないかも知れないが・・・被災地を見て、そこを歩いてみて、それで泣いたり何かを感じないような人間は、まさにこれから死にゆく人間なのだと思う。

多くの政治家やお偉いさんが被災地を視察に来ては、他人事のような顔をして通り過ぎて行ったが、 そういう人の人生には、もうあまり先がないのかも知れない・・・と感じる。

感情を隠していくということは死んでいくということであり、感情をありのまま吐き出していくことはその先へと生かされていく・・・ということだと思う。

生きていくには、感情を隠さずありのままでいくしかない。
そして、生かされてしまった自分には、隠すべき何ものもないのだ。


あの日・・・・39人が死んで、私は生き残った


最近特に自分の中に響いてくるデヴィッド・ボウイの曲が「バレンタイン・デイ」という歌なのだが・・・聞いていると、何か、とても物悲しい雰囲気の歌なのだ。

それにしても・・・・普通、バレンタイン・デイって無駄に明るいイメージの日じゃないの???
よりにもよってデヴィッド・ボウイがバレンタイン・デイの歌って・・・なぜに??と思って、よくよく歌詞を調べてみたら、「バレンタイン・デイに、学校で銃の無差別乱射事件が起きる歌」・・・だという、とんでもない事実が発覚!!!

そりゃあ・・・このくまっしぃの気分にぴったり合うはずだよ・・・。
何気ない日常の中で、突然・・・無差別に身近な何十人もの人間が殺されていく状況って・・・そのまんま伊豆大島での被災体験じゃんか。

東北の人々にとっての「バレンタイン・デイ」は、2011年3月11日ということになるだろうけど、私くまっしぃにとっての「バレンタイン・デイ」はまさに、2013年10月16日だったのだ。
今まで何回目かのできごとではあるけど、確かにあの日、私の人生はそれまでとは変わった。

こうしたことは、理屈ではなく、人にうまく説明できることでもないけれど・・・・39人もの人間が泥に呑まれて死んでいくまっただ中で、自分だけが何事もなく生き残っていくということは、とても不可思議な体験だった。

私の寝ていたわずか5メートル先では、知っている人が一瞬で泥に埋まったのである。
その時、私は何も分からず、何もできなかった。

思えば・・・・私の祖父も、戦時中にフィリピンできっと同じ体験をしたはずだ。
「グラン・トリノ」という映画を見た時、そのことが分かってボロボロ泣いたことがある。

今の私はきっと、この島の人たちにとっては、デヴィッド・ボウイのように「幽霊のような存在」に映っているのだろう。
言ってみれば・・・・私の祖父がフィリピンの戦場に生きる亡霊であったように、今の私もまた土石流の海の上をさまよう亡霊なのであろう。

Memento Mori あなたを忘れない


あの日・・・・見渡す限り続く泥の海の中で、私はただ1人立ち尽くしていた。
生き埋めになった人が居ないか、探して回った。
そこは、一番すさまじい被害を出した神達地区の上流で・・・・分厚い泥の下に埋まった人たちが生きているはずはなかった。

今でも「あなたは何のために活動しているのか??」と聞かれることがあるのだが・・・・分かりやすく言えば、私は今でもあの時に死んだ人間を助けようとしているのである。

私の魂はずっと災害の現場にとどまっていて、泥に埋まった人たちを探し続けている。
それが私の感情なのであり、気持ちを殺さずに生きるということなのだ。
もちろん・・・・今の今まで、その成果は「ゼロ」であり、それはつまり、果てしなく続く敗北の道なのである。

それでも、あの時に無力だった私にできることは、次に死ぬ39人の命を守るということしかないのであり、そのために「災害のメカニズムを解明する」「防災対策を根本から考える」といった活動をしているのである。
それは責任とか何かを背負うということではなく、ただその現場に居た者として当然のことなのではないのかと思う。

あの日助け出せなかった39人を、泥の中から引きずり出すまでは、私が安心して生きる日は来ないだろう。
その時まで・・・・私のバレンタイン・デイは終わらないのである。


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