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2014年6月6日金曜日

セレモニーだけれど重要なのが会議ってものなのかな・・・

復興町民会議に愕然としてしまったワケとは


くまっしぃジャーナルの再開を宣言したのは良いものの、実は・・・・少し前から飲み水がうまく作れていなくて、ずっと頭がモウロウとしているんだよね。。。。
なので、まともな記事を書くことは当面断念して、つらつらと思いついたことだけ書いていこうかと思う。

やはり復興町民会議のことは、人からよく聞かれるので、今日は少しそのことをとりとめもなくダラダラと書いてみるでしーー。

少し前の記事で「復興町民会議の在り方に愕然とした」ということを書いたんだけど、どうもこの会議では何か新しい動きというのは出てこないのではないか・・・と、私としては予感してしまっている。
ひと言で言えば、良くも悪くも「会議というものはセレモニー(※儀式)である」ということなのである。

もちろん、会議ではどんどん提案も出されているし、単なる提案ではなくこれから実現に移される施策もいくつもあるだろう。
しかし、おそらく「実現されるものは、復興町民会議があってもなくても、どちらにしても実現されるだろう」ということが、同時に感じられるわけである。

行政の側には、「住民の意見を聞こう」という真摯な姿勢がちゃんとあるし、住民の側にも「自分たちの声を行政に反映させよう」というしっかりとした意気込みがある。
それでも・・・・最終的には、復興町民会議でとりまとめられる「復興計画」というのは、あたりさわりのない内容に落ち着くのではないかと思う。

結局は、住民を集めて復興町民会議をやってもやらなくても、おそらくは同じような「復興計画」ができあがるのではないか・・・というのが私の正直な感想だが、だからといって復興町民会議が無意味だとか、やらなくても良いとかいうことではない。

セレモニーというのは、世の中において非常に重要なものであり、これなくして世の中や住民生活は成り立たないのである。
住民としても、自分たちで作り上げた復興計画という思いがあればこそ協力できるだろうし、行政だって「住民の声をとりまとめたプラン」だからこそ予算の確保がしやすくなる。

だから、会議は会議でしっかりやっていかなければならないのだが、私としてはこのようなセレモニーをことこまかにネット上に書いてお伝えすることには、一種の無意味さを感じてきてしまったわけである。

伝えることで何かが変わったり、新しい動きが起こるかも知れないと思うからこそ、記事を書くモチベーションも生まれるわけである。
結果が変わらないことに時間と労力をつぎ込むことには、やはり言い知れぬ虚しさを感じてしまうわけで、それであれば、ただ決まった結果だけを書いてお知らせしていけば充分であろうと思う。

なお、「会議はセレモニーである」というのは、とりたてて伊豆大島での事例について言うわけではなく、広く世の中全般にそういうものだと思う。

会議というシステムは、何か新しいものが生まれてくるような場ではなく、それぞれの要望を持ち寄って落とし所を探ったり、あらかじめ決まった結論を再確認するための政治的な場に過ぎないということだ。


沢を広げるかどうか、政治的駆け引きの場に


さて、私としてはそんな斜に構えて見てしまっている復興町民会議ではあるが、その中核とも言える「元町分科会」では、一番大きな動きとして「沢の流路を広げてほしい」との要望が強く出されている。

これまでの行政側(主に東京都)の防災計画では、「砂防ダムで全ての土砂を食い止めるので、砂防ダムより下流の流路については拡幅しない」との方針が出されていて、住民側はそれに強く反発していた。

いくら今後は砂防ダムで食い止めると言ったところで、先の災害では、砂防ダムより下流の沢の流路で水や土砂があふれて大災害になったわけであり、住民としてはどうしても不安なわけである。
沢を2〜3倍の広さに拡幅してもらえれば、それだけ水や土砂の許容量が増えるので、住民はその方が安心できるのだろう。

東京都としては、いったん4月4日の説明会で「沢の拡幅はしない」と宣言しているのであるが、一方の大島町としては復興町民会議での声を「住民の要望」としてとりまとめて、改めて沢の拡幅を要望していくことになるだろう。

ここから、大島町と東京都の駆け引きも始まるだろうし、沢を広げるためには住民の土地を接収しなければならないから、住民同士の間でも駆け引きが始まるのではないだろうか。
この駆け引きの先行きは、なかなか見えるものではないから、本当に沢の拡幅が実現するかどうかも分からないという状況だ。

「沢を広げてほしい」という住民の大きなニーズは、被災後かなり早い段階で発生して、ずっとくすぶっていたのだが、それを実現するかどうかという政治的な駆け引きが、復興町民会議という場においてついに勃発したわけだ。

仮に復興町民会議が行われなかったとしても、この要望を巡る駆け引きは必ずどこかで勃発していたであろうが、とにかく物事が表面化するきっかけを提供するという意味では、この会議の存在意義は大きなものがあるのだろう。

私としては、沢を広げるも何も・・・・神達や元町地区は、そもそも人が住むには土砂災害の危険が大きいのだから、いっそのこと全面放棄してしまって、もっと平らで安全な土地に集団移転するべきだと思うが・・・・こういう門外漢の意見が受け入れられる余地はない・・・・ということも、つくづく感じている。

無駄な努力というものをしてもしようがないので、私としては、これからの住民と行政の中で繰り広げられる政治的な駆け引きについては、黙って見守っていることしかできない。

それよりも私としては、改めて「災害のメカニズム」について考え、追求することが、自分の本分であろうと思う。
各方面から色々と資料やメールも頂いているし、じっくり勉強して、なぜどのようなメカニズムであのような大規模な土砂災害が発生したのか・・・・納得の行くところまで追求したい。

とりとめのないまとめ方になってしまったが、私がなぜ復興町民会議について愕然としてしまったのか・・・・ということについて、部分的ではあるのだが、補足的に書いてみた。

恥ずかしながら、こんな年になっても自分は世の中の仕組みを熟知できていなかったわけで、復興町民会議への期待値もどうやら高すぎたようである。

良くも悪くも会議というものは政治的な場であるし、これまでがんばって参加してみたのだが、どうも自分には政治的な場というものはなじまないみたいだと思う。
今後とも嫌にならない範囲で参加しつつ、自分なりのスタンスというものを見つけていきたい。

仙台城からの夜景は、めっちゃ美しうございました


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